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AREA JAPAN 連載第4回:
『富士フイルムとRRT ― フィルムルックの継承と展開』

シーンリニアワークフロー / ACESでは、シーンに存在する光を精確に記録したイメージに対して、人間の知覚に忠実な色再現を定義すべく開発されたRRT ( Reference Rendering Transform )を介してビューイングすることで理想的なワークフローを実現する。この RRT は、AMPAS の ACES( Academy Color Encoding System )の一要素として2005年より開発されてきた。一方で2012年9月、富士フイルム株式会社(以降、富士フイルム)は、映画業界で長年愛されてきた上映用ポジフィルム及び撮影用ネガフィルムの生産を中止することを発表した。RRT には、映画フィルムの特性と、富士フイルムが培ってきた基礎研究の技術が大いに含まれている。この RRT にまつわるヒストリーについて富士フイルムを軸に見ていきたい。

2004年の SIGGRAPH をきっかけに始まった AMPAS の IIF プロジェクト( The Image Interchange Framework、現在は ACES に呼称変更)は、プロジェクトを推進するために早い段階でカラーサイエンスの専門家やポストプロダクションなどの各方面へ協力要請をおこなった。集められたのは、元 KODAK のカラーサイエンティストであるEd Giorgianni 氏や、SONY Pictures Entertainment の Jim Houston 氏など錚々たるメンバーであった。富士フイルムも、2006年2月に当時の足柄研究所長の原氏一行が AMPAS を訪問し、 AMPAS STC 部長の Andy Maltz 氏、アカデミーメンバーの Ray Feeney 氏と協力関係を約束した。2005年から2008年にかけて、KODAK の技術者が中心となり ACES の技術構築に取り組んだ結果、ある難問が浮き彫りになった。それは、現実世界を忠実に記録したシーンリニアデータ( ACES )を、人間が知覚しうる色再現を模してディスプレイにレンダリングする技術課題であった。当初、 KODAK が主導したのは、複雑な人間の視覚アルゴリズムをレンダリング式に当てはめる理論計算的アプローチであった。しかしながら、このアプローチにより試作された RRT39 によるレンダリング結果は、実際に鑑賞する人の記憶色や好ましさからはかけ離れており、リファレンスとなるレンダリング式の導出は困難を極めた。そんな矢先、富士フイルムの人事異動により、フィルム開発に従事してきた内田充洋氏、カラーマネジメントを専門とする岩城康晴氏が映画フィルム事業貢献グループに加わることが決定し、早速2009年2月、 ACES 定例会議に参加した。この会議での結果もふまえ、富士フイルムは最大の難関であった RRT を中心に本格的な技術協力をおこなうことに決定した。奇しくも、この時大きな経営難に陥っていた KODAK は、ACES 定例会議への参加も困難になり、富士フイルムと入れかわる形で、この2月の定例会議を最後に姿を消した。これは富士フイルムにとっては、世界的な映画産業への技術貢献を目標とした、次世代標準規格の研究開発に本格参入する大きな転機となった。

AMPAS IIF コミッティメンバー

はじめに内田氏らがRRT開発のために取った動きは、KODAKとは真逆のものであった。それは人間の知覚しうる色再現式という複雑な問題に対して、同じく人間が好ましく感じるように長年開発されてきた映画フィルムの特性をコンピュータシミュレーションしてみることであった。これは撮影及びモニタディバイス特性と人間の視覚特性が絡み合う複雑な問題に対して、1935 年から行われてきたアナログフィルムの色再現研究をコンピュータシミュレーションした定性的且つ合理的なアプローチである。内田氏は RRT の候補として、富士フイルムの代表的なネガ及びポジフィルムのシミュレーションを発展させ、デジタル適性を付与したレンダリング変換を 2010 年 1 月に AMPAS へ提供した。そしてこのレンダリングを元に、2010 年 7 月に RRTdc2 ( Design Candidate ) が試作され、いくつかの修正を重ねて2011 年に RRTdc2.2 としてバージョニングされた。この RRT はフィルムらしい色再現が大変好まれ、 AMPAS とつながりの深いプロダクションでは進んでテストされた。しかし、ここにもまた、いくつかの欠点が存在した。それはフィルム特有の非線形特性により、高彩度方向の色で色相回転が発生したり、フィルムと ACES のダイナミックレンジの違いにより、高輝度及び高彩度域にアーティファクトが発生するというものであった。内田氏と岩城氏は、これらの欠点を補うため RRTの計算方法を抜本的に見直し、RRTdc2.2 をターゲットデータとしてチューニングをおこなう極めてシンプルなアルゴリズムの RRT を作成した。その結果、スキントーン、自然の緑、青空などに重みをおいた色相別色再現のコントロールにより、欠点を補いつつ好ましい色再現を実現し、新たなバージョンの RRT が誕生した。このバージョンは、内田氏の貢献の高さから、 RRTut3.3 ( Uchida Tune )と命名された。このRRTのプロトタイプは、OpenColorIO*1 などのソフトウェアにも取り入れられ、実作品にも多く用いられた*2。しかし、 RRTut3.3 にも一部の色再現の好ましさの欠如や RRT の逆変換の難しさが課題として残った。この RRTut3.3 をベースに修正が重ねられ、この課題を克服する逆変換適正及び色相保存のアルゴリズムを取り入れて、2014年2月時点では RRTv0.7.1 となっている。そして2014年6月4日に Linwood Dunn Theater で開催された「ACES Day at the Academy」では、2014年秋にリリース予定のACES version 1.0 に向けて活発なディスカッションがおこなわれた。

富士フイルムによるフィルムエミュレーションプロセス

ところで、ACES には RRT の他にも、ADX ( Academy Density Exchange Encoding ), IDT (Input Device Transform ), ODT (Output Device Transform )といった技術が存在する。RRT への貢献と並行して富士フイルムは、ネガフィルムの濃度をデジタル上で画一化する ADX 色空間を定めるにあたって、そのカラーバランス決定に必要なパラーメータを2009年6月に AMPAS に提供した。さらに、この ADX 色空間から ACES 色空間への変換式である Universal Unbuild のパラメータに関しても、富士フイルム主導による任意分光実験により算出された。またデジタルカメラのディバイス特性を取り去り ACES 空間へ変換するための IDT に関しては、富士フイルムと SONY が協同で IDT 算出及び ACES 上での比較実験をおこなった。さらに、アウトプットモニタディバイスのカラーマネジメントのための ODT に関しても、その設計方針及び具体的な設計例を提示して、2010年7月に正式に ODTdc2( Design Candidate )に認定された。

ACES規格の策定における富士フイルムの技術貢献

富士フイルムは、このようなACESワークフローのリサーチ&デベロップメントを経て、ACES ワークフローをシームレスに実現するハードウェア開発プロジェクト(開発コードネーム: CCBOX)を2011年秋に始動した。CCBOX は、カメラディバイス固有の色空間を、ACES 空間へ変換した後、RRT 及び ODT を適用する複雑なフローを GPU でリアルタイム化するハードウェアであった。2011年1月時点では、まだ研究開発段階ではあったが、ロサンゼルス駐在員である平野氏から内田氏に対して、同年4月に米国で開催される展示会 NAB Show において、CCBOXのデモ展示をおこないユーザの反応を確認してみてはどうかと打診があった。そこで内田氏らは、代表的なデジタルシネマカメラである ARRI ALEXA および SONY F35 からの映像信号をリアルタイムで ACES 処理することをデモ展示の目標に定め、CCBOX 開発を加速させた。4月のNABまで1ヶ月を切った最後の追い込みの時、東日本大震災が日本を襲った。開発本部であった宮台開発センター(神奈川県)でも交通網、電源確保など多大なる混乱が起きた。混乱の最中、4月の NAB に間に合わせるため土日も返上して開発に取り組んだ。こうした中、ようやく完成したプロトタイプを抱えて、開発担当の内田、岩城の両氏が米国へ飛び、ALEXA , F35 の ACES 上でのリアルタイムカラーマッチングデモをおこなった。世界初 ACES 対応ハードウェアの評判は上々で、NAB後の2011年8月には、それまでの研究開発段階から商品開発のフェーズへと移行した。2012年4月には、販売名称を「 IS-100*3 」に定めて、米国にて先行リリースをおこなった。日本国内では、映画「脳男」での使用実例をもとに、2012年7月にナックイメージテクノロジーにて ACES ワークフロー導入のセミナー*4を開催した後、2012年10月、IS-100の国内販売を開始した。

富士フイルムは、創業1934年のフィルム販売から映画産業に関わってきた。言うまでもなく、フイルム技術を軸に成長してきた会社だ。フィルムの他にも、映画及び TV 業界に高性能な撮影レンズを提供してきた富士フイルムが、意外にも映画業界でのデジタルディバイス開発に2012年に初参入するきっかけとなったのが ACES 及び RRT の研究開発だった。富士フイルムにより長年研究されてきたフィルムルックのコンピュータシミュレーションが土台となった RRT、その努力が結実した2012年の SMPTE への ACES 規格*5確立と時を同じくして、富士フイルムでのフィルム生産が終了したのは単なる偶然だ。合理的な ACES 規格の中では最も情緒的な RRT は、その開発に携わったメンバーのつよいフィルムルックへのこだわりにより形作られた。そのような RRT は、フィルムの良き資産を確実に引き継いでいるにちがいない。

1) http://opencolorio.org

2)日本国内における VFX 映像制作では、株式会社博報堂プロダクツ REDHILL 事業本部の主導する CM 制作で採用された。

3)『 富士フイルム Image Processing System IS-100 』
http://fujifilm.jp/business/broadcastcinema/solution/color_management/is-100/

4)2012年7月26日にナックイメージテクノロジーで開催されたセミナー「 IS-100 によるデジタル撮影のワークフロー革命 ACES ワークフローのスムーズな導入を実現 」に参加していた CG アーティストの山岸辰哉氏及び筆者は、VFX サイドからの ACES への協力を内田氏らと約束した。

5)SMPTE STANDARD Academy Color Encoding Specification (ACES) – ST 2065-1:2012